できるだけいろいろなことを書く

できるだけまじめなことと、くだらないことを書きます。ファシリテーションやグラフィックレコーディングと関係あることかもしれないし、関係ないことかもしれません。

「感性の暴力」というか、芸術領域のスキルでアウトプットが求められること、というか。

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この記事はnoteから引っ越してきました。

グラグリッドさんのnote記事で「えがっきー」体験イベントの感想ツイートを引用していただきました。

note.com

 

 

 このツイートで「感性の暴力」などと、穏やかでない言葉を使ったので長々と補足します。

この記事が「めんどくさいポエム」です。

背景には、昨今の「論理だけではなく感性も動員してビジネスを作ろう」という流れと、それに対応した研修やワークショップなどの取り組みの普及があります。研修が玉石混交になるのはどんなジャンルでも宿命なのでそれはとりあえず横に置いて、いちおうその機会は効果的であるとの前提で話を進めましょう。そして、とりあえず私の領域である「描く手法」を例に挙げますが、論点は描くことそのものではなく「感性のアウトプットには、だいたい芸術領域のスキルで表現することが求められるよね」というのが本稿のテーマです。
造形や映像でも、音楽や演劇などの身体表現でもなんでもかまいません。ただし、「感性」の対立概念を「論理」としたいので、論理と同じく言語を使う文芸(詩や小説など)は話をややこしくするので保留します。

「感性をビジネスに」のアプローチを身につけるためのアクティビティでは、ほとんどの場合アウトプットが求められます。何かのアウトプットがなければフィードバックどころか内省もむずかしく、ただ聞いて終わりになってしまいますから。そのアウトプットにつまづく人について考えてみたいと思います。

感性の豊かさとアウトプットの結果は必ずしもリンクしない

「描く手法」でありがちなのは「自由に感じたまま描いてみましょう。線でも色でも何でもいいです。できたら具体的、説明的なものではなく、抽象的、端的なものがいいですね!子どもにもどって遊びましょう!」的なやつです(これまで経験したいろんなのを混ぜました)。

ただ、これがとてつもなく難しく感じる人がいます(まあ私なんですけど)。
インプットから喚起される反応の豊かさと、それをアウトプットする能力はまったくリンクしていなくて、やっぱり「芸術領域のスキルでのアウトプット」はしんどい人もいるわけです。それは能力の優劣ではなくて、単に背が低くて電車の網棚に荷物を載せられないくらいのことだと考えています(私だ)。

わりと残酷な要求をしているのではないか疑惑

「描くこと」を実践する人から時々聞かれるのが「想いを言語化するのがとても苦手で、コンプレックスだった。でも、可視化を知って、実践して、想いを表現できるようになった」という言説です。その裏返しで「想いを言語以外で表現するのがとても苦手」な人がいることにも思いを馳せてみませんか。

それは、言語化が苦手だったあなたとの合わせ鏡です。表層を見て勝手に評価されて悔しかった、悲しかった。芸術領域のスキルでのアウトプットが得意な人から時々聞く言葉です。さて、同じ感情を「言語以外が苦手な人」に体験させることは、あなたの本意でしょうか。

そんな状況をTwitterで雑に「感性の暴力」と表現しました。

ただ、苦手なことなりにちょっとやってみるのはとても有意義だと思います。たぶん、体験するとタイプの違う人の行動原理がぼんやり見えてきて腹も立たないし、自分の隠れた特性に気づくことだってあるかもしれません。
傾向として言語系・枠系の人は物事をとらえる単位が細かめな気がするので(カバー画像参照)、飛び石のような補助具があると体験がスムーズだと思います。Step by Stepで進める「えがっきー」を使うと、意図せず感性の暴力を振るってしまう可能性が低くなりそうだと感じた、という次第です。