できるだけいろいろなことを書く

できるだけまじめなことと、くだらないことを書きます。ファシリテーションやグラフィックレコーディングと関係あることかもしれないし、関係ないことかもしれません。

多様性を信じる人々と、その無邪気の悪質さと

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この記事はnoteから引っ越してきました。

今回は考察や結論をまとめません。だいぶん前のエピソードをご紹介するだけの記事です。

「学校や仕事の専門性だけでなく、一人ひとりのちょっとした得意なことでもコミュニティに貢献できる」的な文脈で、演者の方がグラフィックレコーディングする私に「何学部ですか?」と突然振ってきたことがあります。要するに「バックグラウンドにかかわらず/活かして活躍してますね!」と演者は言いたかったわけですが、これはけっこう危うい進め方だなあと私はひやひやしていました。

この質問が示すのは、「このような知的活動のイベントの(少なくとも)スタッフは、四年制大学(=学部)に行っているのだろう」という思い込みがあるということです。多様性がどうのこうの、人それぞれにどうのこうの、と掲げるこの界隈が実はかなり均質な集団であることをいみじくも示しているように思います。

均質な集団といえば、以前ファシリテーターの団体で知り合ったAさん(Aはアルファベット順)のことを思い出します。Aさんは団体の活動に精力的に取り組み、ファシリテーターとして研鑽を積んでいました。しかし、あるときAさんは団体から離れていきました。その理由ははっきり聞いていません。単にお仕事が多忙になっただけかもしれません。

ただ、あるときAさんが話していた「自分は高卒なので、周りの話題についていけない。みんな自然に『大学が〜』という話をするから」という言葉が引っかかってならないのです。その言葉と、団体に関わる人たちが無邪気に口にする「多様性」「参加」という理念とが何の関わりもないとはどうしても思えない。
Aさんは職場で役職にもついており、仕事を進めていくのにファシリテーションがとても役立ったことでしょう。団体に参加することだけが勉強ではないけれど、どうにもAさんのことは気になったまま何年も過ごしています。

こんなことを見聞きすると、実はこの界隈で取り沙汰される「多様性」とは単にキラキラしたテーマ、今のトピックであって、(認識していないかもしれないけれど)手触りのある課題として扱っていない人がかなりの数いるのではないか? とも思えてきます。
それがまずいのは、「多様な人々と協働」しているつもりでも、実態が「異質な集団への施し」になっている可能性があることです(協働って言葉も嫌いなんですが)。話し合いの場を、自己理解の場を、地域をよくする場を「施し」ているのではないか? そんな違和感がずっと喉につかえています。

さて、冒頭の質問に私は「社会学部です」と答えました。私は現役で短大を卒業したあと、30代になってから通信制大学編入して(4年かかったけど)卒業しているので嘘ではありません。ただ、日本で学歴とは「二十歳前後をどのような環境で過ごしたか推し量る材料」という意味も持ちます。むしろそちらのほうが大きいと感じることもあります。そのせいで、私はこの類いの質問に即答できません。時計では測れないくらいの、変な間が開いてたかもしれません。しかし端から見ればおそらく、ごく普通のやりとりだったことでしょう。

この、取るに足りないやりとりを折に触れて思い出すのは何なんでしょうね。あんまりぱっとしないですね。